『さようならCP』にみる70年代初頭の車椅子は?

1972年制作、原一男監督の『さようならCP』。公開後、上映運動も展開されたので、50代以上の方なら観た方も少なくないかもしれない。しばらく前「ポレポレ東中野」で上映されるのを知って、40年遅れで観た。

映画は、CP(脳性マヒ)の人たちの団体「青い芝の会」の活動を追ったドキュメンタリー。どんな車椅子が出てくるかの興味もあったが、出てくるシーンはわずかだった。

アップで写るのは、1940年代にアメリカで開発されたエベレスト&ジェニングス社(以下E&J)製と同じタイプ。これは重さが20kgほどで、折たたみもでき、当時としては先進的な車椅子と思われていたものである。しかし、今日の水準でみると、姿勢保持や駆動性は論外だ。実際、たとえばドイツでは、病院等で一時の移動用に用いる限定的な車椅子と定義されている。つまり、車椅子を必要とする障害のあるひとが日常的に使う道具とは考えられていない。

E&J製車椅子

某医科大学の外来で現役だったE&J製車椅子(2011年6月橋本撮影)。おそらく1960年代の製品。このことをtwitterでつぶやいたところ、車椅子博物館の構想をもつ関係者の目にとまり、貴重な資料として病院から引き取られた。

それは、さておき、E&J社が開発したタイプの車椅子が日本で注目されたのは、64年の東京オリンピックに合わせて開催されたパラリンピックが契機だという。それまで日本では、折りたたみのできる金属製の車椅子はきわめてめずらしかったらしい。このあたりのことは、村田稔さんの『車イスから見た街』(岩波ジュニア新書 1994年)にも書かれている。

一方、現在の先進的な車椅子につながる開発や進化が始まったのは70年代の欧米なので、映画の中の車椅子は、舞台となっているのが東京・神奈川であることも考えると、当時の日本の車椅子事情としては比較的すすんだ部分を反映しているとみていいだろう。ただ、登場する車椅子はステッカーなどメーカーを判別できるような特徴を発見でず、日本製なのか海外製なのかも不明である。

日本車椅子シーティング協会会員社のホームページをみると、松永製作所の設立が64年、日進医療器の車椅子販売開始が65年、66年には日本ウイール・チェアーが設立しているから、どこも可能性はある。ちなみに、老舗とされる北島藤次郎商店(現在ケイアイ)は56年(55年?)に車椅子専門メーカーとなったという。

映画では車椅子がアップになったあと、メッセージが出る。

   車椅子のイメージっていうのは白衣の天使に付き添われてさ

   保護されているっていうスタイルなんだな

その短い言葉に、当時の車椅子の置かれた状況がみえるように思う。アクティブでない車椅子自体の構造、建物・交通のバリア、他者の目。そしてまた、青い芝の会活動家の能動的な主体とならんという強い意思をも感じる。バスの車椅子乗車拒否への抗議活動「川崎バス闘争」は77年のこと。『さようならCP』を撮った頃に比べて車椅子が普及したことも、背景にあるのだろう。闘争は全国に広がったという。

ところで、「さようならCP」はDVDになっていて、疾走プロにて購入可能。青い芝の会の中心メンバーのひとりで、78年に若くして亡くなった横塚晃一さんの『母よ!殺すな』も2007年に生活書院から復刊している。

 

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    車椅子や座位保持装置にまつわる情報、仕事のなかで気づいたことなどを、こっぱ舎にかかわる人たちが折々に紹介していきます。こっぱ(木っ端)=鉋(かんな)の削りくず。転じて、取るに足らないもののこと。そんなkoppaも壮大な宇宙=kosmosの中にあり、こっぱの中にも小さな宇宙がある。そんな思いでkoppasmosと名づけました。

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